津軽伝統の古武術

本覚克己流和/柴田伝・保存会

(ほんがく こっきりゅう やわら)

本覚克己流和の関係者写真。中央が大津育亮師範、左が柴田嚝作。

中央:本覚克己流和 第十一代 大津育亮(おおつ やすすけ) 師範
左:当家の父/次期第十二代宗家指名を受けた柴田嚝作(しばた こうさく・三番弟子)
右:現在氏名不詳(今のところ二番弟子、大津家親戚または従兄弟と推測)
写真撮影:大津浩一様と推測(おおつ こういち・一番弟子)

更新情報

(2025.09.13)WEBの文字表現の細部修正。
(2025.08.13)[私の活動動機とは] に追記しました。
(2025.07.22)7月22日 「書籍制作に向けて質問を募集します」を作りました。
(2025.07.17)ウィキペディアの間違った一次情報源らしきを発見。(発行者:石岡 頁、署名:弘前柔道協会 創立九十周年記念 弘前柔道史、出版社名:弘前柔道協会、発行年:平成三年七月十日、引用ページ:P234,本覚克己流第十一代師範 大津育亮氏逝去)
(2025.07.17)7月20日 NHK国際放送「NINJA TRUTH」放送時間が一部変更。
(2025.07.13)7月20日 NHK国際放送「NINJA TRUTH」にて「本覚克己流和」が紹介されます。
(2025.07.11)目指す順番を変えました。
(2025.07.11)情報提供のお礼項目を作りました。
(2025.07.07)稽古・体験希望のページボタンを作りました。
(2025.07.07)ホームページ全体の整理をしました。
(2025.07.01)「出来事」項目を追加しました。
(2025.06.21)「活動目的」書籍化-案4を追加しました
(2025.06.18)「活動目的」に1番・2番に私が目指すことを追加しました
(2025.06.06)「情報収集に関するご協力のお願い」項目を増やしました。

出来事

個人出来事
堀越城跡となりの旧石戸谷家住宅にて、弘前市教育委員会文化財課からの依頼で「本覚克己流和・林崎新夢想流居合・卜傳流」の演武を行いました。
本覚克己流和は、大学生と高校生も演武に参加し、観客と一体感のある和やかな雰囲気の中での演武となりました。
やっと発見
大津師範直系の経験者を探し当てました。
血筋から考えて最低でも中段者、うまくいけば上段者である可能性もあり得るでしょう。
但し、ご病気との事で進展できるかは今後の状況次第。期待は限りなく薄いです。
個人出来事
9月14日(日)11~12時と14~15時、国重文の武家屋敷笹森家住宅にて「卜傳流・林崎新夢想流居合・本覚克己流和」の演武を行いました。
本覚克己流和においては、大学生と高校生も演武に参加。
昔はこれが日常だったのだと思うと感慨深いものを感じました。
個人出来事
少しは頑張っている証を頂きました。
恐らくスマホの悪い利用(普段はスマホも極力触れませんが)、PCのキーボード使い過ぎで過負担だった手首に、武術の検証作業が加わる事で手首がオーバーヒート。
尺骨付着部断裂と診断され少しは頑張っている証を頂きました。

家内と2人で使っているPC9台のうち7台をwindows10→11、オンライン通話テストまで途中。。。
なかなか前進できないもどかしさを感じています。
剣術稽古
先日、本覚克己流が一部源流とされる卜伝流の剣術稽古に参加しました。

大太刀を持つ相手に対し、小太刀で懐に飛び込むという稽古で、相手との「間合い」を実感するという内容。
相手に向かって小太刀を片手に相手に突き進んで行くと、何も無い空間なのに一定の距離に近づくと練習で安全とわかりつつも「ドキッ これ以上前へ進むな」と体が反応し足が止まりそうになります。
何度やっても一定の距離に近づくと「ドキッ」。
その距離感とは、相手が垂直に立ち大太刀を天にむけた点から半円の距離であると推測。

この体験を通じ、父の死後、薄れたと感じていた危機察知能力が、まだ自分の中に残っていることを再確認できました。
一人稽古
ねぷた祭り期間・お盆期間も関係なく一人稽古を無理ない範囲で行っています。
忘れていた技の細部のコツを突然思い出したりと面白い体験を繰り返しています。
参 加
8月05日 弘前ねぷた運行期間
修武堂が参加するねぷたを観に行きました。 私は殆ど関係なく、検証稽古・古文書の撮影と資料整理に追われています。
参 加
7月20日 東京墨田区ひがしんアリーナにて、新風館武藝研究所・河野真通先生著書 「本覚克己流探求(壱)」上梓記念<体験会>に参加して来ました。
参加権のある方は、間違いなく参加された方が良い内容でした。
発 見
大津師範の「許状と印可覚」を発見。
今まで情報不明な点が仮説として見えてきました。
参 加
6月28日・29日
修武堂にて新風館武藝研究所・河野真通先生がお出でになり、本覚克己流和の研究稽古会を行いました。
沢山の学びを頂戴致しました。

NHK国際放送「NINJA TRUTH」

津軽古来の武芸「本覚克己流和」が放映されました。

NINJA TRUTH

かつて青森県津軽地方を治めた弘前藩には、「早道之者(はやみちのもの)」と呼ばれる忍者集団が約200年にわたり存在しました。
本稿では、彼らが果たした役割と、彼らが用いた独自の武術について探ります。

このたび、NHK国際放送「NINJA TRUTH」にて弘前藩の忍び「早道之者(はやみちのもの)」が修行した武芸「本覚克己流和」(ほんがくこっきりゅう やわら)の歴史と実伝を、私と修武堂の小山先生と修武堂有志の方々が実演・紹介しております。
海外向け番組ですので、日本語はありません。

※詳細は下記のNHK国際放送ホームページをご覧ください。
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/shows/3025222/

【活動目的】

ご挨拶と、この活動を始めるにあたって
津軽に伝わります古武術「本覚克己流和(ほんがくこっきりゅう やわら)」。
その教えと歴史を、可能な限り正しいかたちで未来へ繋ぎたい。ただその一心で、父より受け継いだ記憶を掘り起こし、史実を一つひとつ確かめる作業を、少しずつではありますが進めております。 私は、当流派の故・大津育亮(おおつ いくすけ)師範より「許状」を賜り、「後を頼む」と次代(第十二代)を託された、故・柴田嚝作(しばた こうさく)の長男です。

この活動を始めましたのは、主に二つの思いからです。
一つは、本覚克己流和の歴史について、事実とは異なるかたちで伝わっている点を、私の知りうる範囲で正し、あるべき姿に戻したいという願い。
もう一つは、この素晴らしい古武術が、身体の動かし方を探求する一つの道として、また日本の貴重な文化として、このまま静かに埋もれてしまうことに、強い寂しさを覚えたからです。
残された人生の時間を使い、私にできる限りのことをしたい。その具体的な目標については、これから少しずつお話しさせていただければと存じます。

  • 大津先生への間違った情報の訂正

    故・大津育亮師範について、お伝えしたいこと
    大津師範がお亡くなりになったことで、本覚克己流和は「失伝した」と語られることがあります。しかし、そこには一つ、とても大切な事実が抜け落ちています。それは、大津先生が師範としてのお役目をすべて果たし、次代へと託し終えた上で、安らかに旅立たれたという事実です。

    すべての事柄が表に出ることなく、静かに進められていたため、多くの方がその経緯をご存じないのは無理からぬことと存じます。ただ、事実と異なる情報によって、大津先生のお名前やご功績に一点の曇りもあってはならない。その思いから、ここに事実を記させていただきました。

  • 古文書に遺された武術の復元に向けて

    父が遺した古文書を前に、「自分の代で、一体どこまでこの技を明らかにできるのだろうか」と、暗中模索の日々が続いておりました。
    しかし、2025年6月下旬、新風館の河野敏博先生が遠路はるばる弘前までお越しくださったことが、大きな転機となりました。先生との対話の中で、忘れかけていた父との稽古の記憶が鮮やかによみがえり、疑問だった箇所の霧が晴れるように、技の再構築が進んだのです。河野先生の深い知見と温かいお力添えに、心より感謝しております。
    このご縁を力に、古文書に記された技の復元を、一つひとつ丁寧に進めてまいりたいと考えております。

  • 未来へ繋ぐために。後継者探しと書籍化という夢

    この探求の道を、私一人で終わらせるのではなく、次代へと繋いでくださる方を探し始めました。ご縁のある方に少しずつお声がけをさせていただき、この活動を未来へ託せたらと願っております。

    また、この活動の記録を「本」という形で残せないかと、いくつかの構想を温めております。


    [書籍化-案1]
    父を師に持つ一人の息子として、共に過ごした日々の中で見たこと、感じたこと。少し不思議な家庭環境で育った私の目に映った「本覚克己流和」の姿を、ありのままに綴ってみたいと考えています。


    [書籍化-案2]
    子供の頃に垣間見た、父の常人離れした動きや逸話の数々。それらは一体何だったのか。今、私なりの考察と仮説を交えて、思い出を辿ります。


    [書籍化-案3]
    大津師範がごく一部の者にのみ伝えられたという、「我が子や孫に、古武道の素養を自然と身につけさせるための教え」。それは、現代人が眠らせてしまった身体の可能性を呼び覚ます鍵となるかもしれません。


    [書籍化-案4]
    父たちがこともなげに行っていた技が、なぜ現代の私たちにはこれほど難しいのか。稽古を重ねる中で見えてきた、身体の使い方に関する気づきと考察をまとめます。


  •  五十年後、百年後の未来へ向けて

    この活動を進めるにあたり、修武堂の小山様と「未来のための仕組みを作りたい」という点で、深く思いが一致いたしました。
    それは、たとえ津軽の地に伝わる流派が、時代の流れの中で一時的に途絶えることがあったとしても、その道を志す未来の人々が、再びその技と心に光を灯せるように。
    その「手がかり」や「道しるべ」を、今の私たちが遺しておく、という試みです。
    今この時に私たちが行動しなければ、先人たちが命がけで磨き上げた技の数々は、やがて「おとぎ話」のように、輪郭のぼやけた伝説になってしまうかもしれません。
    古武術とは、人間の身体に秘められた可能性を、極限まで探求した叡智の結晶です。
    実際にその技を一つひとつ紐解いてみると、緻密に計算された動きの連続性に、改めて「日本人とは、なんとすごい智慧を持っていたのだろう」と、感嘆せずにはいられません。
    この尊い文化遺産を、ただ時代の流れに任せて消えさせてしまうのは、あまりにも惜しい。
    まずはささやかな一歩として、未来への礎を築くための作業を始めてまいりたいと考えております。

  • 津軽の古武道を、地域の誇り「伝統文化」へ

    津軽、そして青森の地に根付く古武術・古武道を、この地域の正式な「伝統文化」として認定していただくことを目指す。これは、修武堂の小山様が長年抱いてこられた悲願でもあります。

    半世紀以上も前から、津軽の多くの師範方が、この目標のために力を尽くしてこられたにも関わらず、今なおその願いは叶っていないと伺いました。先人たちのその熱い思いを受け継ぎ、私自身も微力ながらお力添えができないかと考えております。

    どのような道筋を辿れば良いのか、今はまだ手探りの状態ではございますが、諦めることなく、皆様のお知恵も拝借しながら、試行錯誤を重ねてまいりたい所存です。

※皆様への感謝と、日々の探求
この活動は、私一人の力では到底進めることはできません。資料のご提供や温かい励ましのお言葉をくださる皆様、そして、呆れながらも静かに見守ってくれる妻に、この場を借りて心より感謝申し上げます。

仕事中も、食事中も、スーパーで買い物をしている時でさえ、ふと気づくと腕を動かし、身体の使い方を検証していることがあります。
妻には「またやってる」と見透かされていますが、きっと父も同じように、四六時中この道を探求し続けていたのでしょう。だからこそ、どんな問いにも即座に答えられたのだと、今になって父の背中を追う思いです。

(1)長年胸に秘めていた思いの変化

本覚克己流和に関する情報は、その歴史的役割を終え、いずれ静かに時の流れに身を任せるのが運命なのだろう。私自身も、その流れに介入すべきではないと、長年考えておりました。

しかし、近年、史実とは異なる情報が広まっていくのを目の当たりにし、このままではいけない、と強く思うようになりました。
先人たちが守り伝えてきたものを、せめて曇りのないかたちで歴史に刻みたい。その思いが、私を動かし始めました。(詳しい経緯は、いずれ書籍にてお話しできればと存じます)

(2)私が今、動かなければならないと感じた理由

近年、インターネット上などで、本覚克己流和に関する様々な情報が流布しておりますが、その中には、残念ながら史実とは考えにくいものが少なくありません。 私の知る限り、大津師範から直接教えを受けた最後の継承者の方は、コロナ禍が始まる頃までご壮健でいらっしゃいました。私も乳飲み子の頃から存じ上げ普段から交流がありました。一度だけ、貴重なお話を伺う機会を設けて取材しております。
(他にも大津師範直系の経験者が存命である情報を頂きました。少なくとも中段者以上であると思います。今後の進展具合は不明です。)
このままでは、真実が誰にも知られることなく、誤った情報だけが歴史として残ってしまうかもしれない。そのことに、静かながらも強い危機感を覚えたのが、活動を始める大きなきっかけです。

(3)当流派を研究されている皆様へのお願い

古文書などを通じて、本覚克己流和を探求してくださっている皆様の存在を、大変ありがたく、心強く感じております。誠にありがとうございます。

皆様のその熱心な探求の中に、どうか、この流派を築き、守り伝えてこられた代々の師範方への敬意を、少しだけ心に留めていただけましたら幸いです。
そのお気持ちが、術理の奥にある精神へと繋がる道しるべになるものと、私は信じております。

(4)私の活動の根底にあるもの

本来、人前に立つことは得意ではなく、静かに過ごすことを好む性分です。しかし、これもまた自分に与えられた一つの使命ではないか、と感じております。

この活動は、亡き父が果たせなかった夢を少しでも形にしたいという、ささやかな親孝行です。そして、大津師範に関する誤解を解き、この流派を創始した先人たちへの敬意を示すことでもあります。私にできるところまで道を整え、次の方へ清らかなバトンを渡すこと。それが今の私の願いです。

幼い頃から、当流派の表話、裏話。身体で感じさせてくれた不思議な技の数々。それらの記憶を頼りに、少しでも正しい情報を未来へ遺したい。その一心で、この無償の活動を始めました。
私が物心つく以前、そして小学生の頃など我が家を訪ねてこられた大津師範に幾度かお会いしております。
写真で見る通りの、凛とした立ち姿。
子供心にも、その圧倒的な存在感に魅了されたことを、今でも鮮明に覚えています。
私が父の年齢に近づくにつれ、「なぜ父は、大津先生の願いであった流派の繁栄に、積極的に動かなかったのだろう」という長年の疑問がありました。
その問いと向き合い続ける中で、自ずと見えてきた答え。
それが、今の私を突き動かす原動力の一つになっているのかもしれません。(この点についても、いずれ書籍で触れるかと存じます)

(5)情報の公開範囲についての考え

武の道を歩む皆様にはご理解いただけることと存じますが、本覚克己流和の具体的な術理につきましては、現時点では公開を控えさせていただいております。

また、父が拝領いたしました「許状」につきましても、公に掲示することは致しません。
これは、デジタル技術が発達した現代において、安易な複製や悪用を防ぎ、流派の正統性を守るための責務であると考えているためです。
許状そのものは、信頼のおける場所に厳重に保管をお願いしておりますので、ご安心いただければと存じます。
何卒、ご理解いただけますようお願い申し上げます。

(6)これまで沈黙を守ってきた理由

私自身の人生設計もありましたが、それ以上に、この流派が持つ「秘伝」という性格の重みが、私の足を前に出させませんでした。関係者の方々が次々と鬼籍に入られ、直接の伝承を知る者が、居なくなる現実。焦りを感じながらも、「柴田嚝作の息子が、流派の名を私的に利用している」といった誤解を招くことを何よりも恐れ、行動できずにいました。

しかし、私がこの世を去れば、父から直接見聞きしたことを知る者は誰もいなくなってしまう。その事実が、日に日に重くのしかかっておりました。

そんな折、数年ぶりに修武堂の小山様よりふとご連絡をいただきました。
(小山様とは、家系が卜伝流の方で津軽の古流武芸を復活させたいとの思いで20年ほど前に修武堂を創設されました)
不思議なことに、それ以前から、普段ほとんど見ないテレビをつけると、偶然にも小山様が演武を宣伝されている場面に遭遇することが度々ありました。その不思議なご縁の積み重ねが、私の心を動かしました。
小山様、そして故・加川様との出会いがなければ、私がこうして活動を始めることは万に一つもなかったでしょう。 まるで父に背中を押されるかのように、私の身体は自然と動き始めていました。
そして2025年に入り、次々と不思議な出会いが続いております。これもまた、天の導きなのかもしれない。そう感じながら、今、私はここに立っております。

(7)情報収集に関するご協力のお願い

情報収集に際してお願いする事がありましたら、何卒ご理解・ご協力を頂きたく宜しくお願い申し上げます。
希望する情報としましては、

  • 武術関係者の昔の証言
  • 過去に大人になってから習ったことがあるご本人やご家族様の消息またはその時代の写真など
  • 古文書のデジタル・アナログを含む資料
  • 当時の映像(演武・練習風景)に関するのデジタル・アナログを含む資料
  • 1970年 日本万国博にて日本武道祭がお祭広場で開催され、中央で演武を行っている映像。個人撮影された方が居れば有力と考えております。NHKさんでも探せませんでした。
  • 1966年 NHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」、松竹映画「おはなはん 第一部・第二部」を実写または配信などを含めて見れる方法・ウェブサイトなど。当流派の方々多数が出演されたとの情報を得ました。
  • 津軽に伝わる当流派で使用していた可能性のある武具

など様々です。
以上となります。
ご高覧頂きましてありがとうございました。