
中央:本覚克己流和 第十一代 大津育亮(おおつ やすすけ) 師範
左:当家の父/次期第十二代宗家指名を受けた柴田曠作(しばた こうさく・三番弟子)
右:現在氏名不詳(今のところ二番弟子と推測)
写真撮影:大津浩一様と推測(おおつ こういち・一番弟子)
【活動目的】
津軽伝承の古武術 本覚克己流和の情報を出来る限り正しく後世に残したい思いで、父より承けた範囲で武術・史実情報の裏付け作業・記憶の思い出し作業を時間の許す範囲で徐々に進めております。
私は、当流派の故・大津育亮師範より「許状」を賜り、「後を頼む(第十二代 師範)」と託された故・柴田曠作(しばた こうさく)の長男です。
長年の私の考えとは
当流派の情報が出来る限り正しく静かに歴史の幕を下すのは致し方ない事であり、私は関わらないと長年考えておりました。
実情に危機感を覚えた
しかし近年、津軽の伝承文化 本覚克己流和に関して正しいとは思えない情報がウィキペディアを含めて日本中に流布している多々あるホームページなどにて現状を知る事が増えている事に気づきました。
武術を極めるとは何なのか?
本覚克己流和の神髄とは何なのかを知らぬ人物がさもさもに語っていることに情けなさを感じる事もあります。
因みに私の知り得る範囲となりますが、大津師範直系の最後の継承者はコロナ過まで元気にご存命でした。
お元気な時期に一度直接取材もしております。
当流派を研究されている方へ
当流派の術を古文書などで研究されている方もいらっしゃると思います。
どうぞ、そのお気持ちの中に当流派の代々の師範の方々へ尊敬の念を持った上で研究して頂けると幸いでございます。
私の活動動機とは
私の活動動機は、亡き父が大変お世話になった大津師範や代々の師範の方々の思いに尊敬の念を持って少しでも何かの形で応えられたらとの思いだけです。
私が家族の視点で幼少の頃から父の活動を見て、当流派の表話・裏話を楽しく聞いて・体感し・質疑応答の繰り返しから得た知識などを通して、少しでも正しい情報として後世に残したいと思い無償活動をしております。
私が小学生の頃に何度か大津育亮師範にお会いした事、当家にお出でになられた事もあります。
写真をご覧になられた事のある方はわかると思うのですが、その立ち振る舞いの凛としたお姿は子供の私でも魅了されるものでした。
津軽伝承の古武術 本覚克己流和の情報を可能な範囲で精査し、私の生あるうちにやらなくてはならないものとの思いです。
どうしても時間が経ってしまっているため、ある程度でもまとめるのに相応の時間はかかるであろうと想像しております。
当流派の公開範囲とは
武術をされている方ならわかると思いますが、基本的には具体的な術の公開は致しません。
また、許状の公な公開は致しませんし、他所に保管して頂いております。
許状の公開をしない理由は、武術をされている方なら気づくと思いますが、このデジタル社会においては簡単に複製が可能ですので、それを防ぐ意味からです。
今まで一切身を隠していた理由とは
私個人としては2年先まで自身の人生計画があったのですが、関係者の高齢化で時間が無い事を肌で感じ、自身の計画を後ろにスライドしてでも優先事項とする事にしました。
以前より当方の事を存じ上げられていた方からも、20年以上に渡り活動のご希望を寄せられては居たのですが、私が出ることで代々の師範の方々の名前に傷が付くのではないか、または「柴田曠作の息子が本覚克己流和を売った」と捉える方がでた場合、その釈明に時間を費やされる事を想定し一切身を隠しておりました。
しかし、不思議と父に背中を押されたかのように2025年に入り、100年後を憂いた私がそこに居り自然と体が動き始めていました。
そして何故か不思議な出会いが多々続いている現在であることも記しておきたいと思います。
情報収集に関するご協力のお願い
情報収集に際してお願いする事がありましたら、何卒ご理解・ご協力を頂きたく宜しくお願い申し上げます。
希望する情報としましては、
- 過去に大人になってから習ったことがあるご本人やご家族様の消息またはその時代の写真など
- 古文書のデジタル・アナログを含む資料
- 当時の映像(演武・練習風景)に関するのデジタル・アナログを含む資料
- 1970年 日本万国博にて日本武道祭がお祭広場で開催され、中央で演武を行っている映像。個人撮影された方が居れば有力と考えております。NHKさんでも探せませんでした。
- 1966年 NHK朝の連続テレビ小説「おはなはん」、松竹映画「おはなはん 第一部・第二部」を実写または配信などを含めて見れる方法・ウェブサイトなど。当流派の方々多数が出演されたとの情報を得ました。
- 津軽に伝わる当流派で使用していた可能性のある武具
など様々です。
以上となります。
ご高覧頂きましてありがとうございました。